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金原瑞人 金原瑞人 法政大学社会学部教授・翻訳家

大学教授、翻訳家という金原さんは幅広いスタイルを
おもちです。 今回は「文学の創作」活動や日本の
伝統芸術にも興味をもたれプロデュースされたり、
コラボレーションの面白さなどお話しを伺いました。

大学を卒業するときには、カレー屋になろうと思ったとか。

ええ。就職試験に全部落ちまして、何をやろうかなと
考えて思いついたのが、カレー屋だったんです。
どういうふうにやろうと考えたかといいますと、
屋台だったんです。ラーメンやおでんの屋台はあっても、
カレー屋の屋台はないでしょ。
だからきっと流行るはずだと考えたんです。
でも、それは考えただけで実行しませんでした。
就職試験が終わったころ、卒論指導をしてくださっていた
先生に「就職はどうした?」と聞かれて、
「全部落ちたので、カレー屋をやろうと思います」といったんです。
そうしたら、「大学院に進んだらどうだ」といわれました。
でも、当時の僕は大学院が何をするところかわからなかったので、
「大学院って何するところですか」と聞きました。
するとその先生は、「週に2回ぐらい学校に来て、後は本を読む。
それだけで奨学金がもらえるところだ」なんていうものですから、
へぇーと思い、大学院にいくことにしたのです。
行ってみますと、先生のいったことは
あながちまちがいではありませんでしたが、
勉強は大変でした。論文を書かないといけませんでしたし。
その先生も、今の僕と同じように研究とともに
翻訳をやっていた方で、翻訳の勉強会を開いてもいたんです。
で、僕もそこに顔を出すようになり、
いつの間にか翻訳をするようになりました。
一冊全部をひとりで翻訳するようになったのは、
大学院を出た30歳のときでした。
金原瑞人 翻訳というのは、原作を忠実に
日本語化するものなのでしょうか。


必ずしもそうではありません。翻訳家によりけりですね。
どんな原作でも自分の文体で訳してしまう人、
あるいは自分は透明人間のようになって原作に忠実で
あろうという人。そのふたつのタイプを両極に、
いろいろな方法があるのが翻訳です。
僕の場合、いろんな翻訳法を検討し、その作品に
あった翻訳方法を考えます。僕がひとりでやったほうが
いい場合ももちろんあります。原作者の個性と僕の個性が
ぴったり合う場合は、翻訳していて本当に気持ちいいですね。
ところが、若い作家が書いた若い女の子向けの本なんかは、
とても僕には無理です。それを無理して翻訳すると、
読者にすぐに見破られてしまいます。そういう作品を、
翻訳してみたいなと思ったときは、
若手と組んだコラボレーションをまず考えますね。共訳です。
一昨年、『白い果実』(ジェフリー・フォード原著 国書刊行会)
という本を訳しました。
この作品は、世界幻想文学大賞受賞も取っていて、
話題作だし内容はとても面白いんです。
ただ、原著の文体はテラっとしていてメリハリがなく、
そのまま訳すのはつまらないと思いました。
そこで、まず僕と谷垣暁美という翻訳家とで全部訳し、
それを作家の山尾悠子に全部書き直してもらったのです。
これは、3人のコラボレーション。
原作の持ち味とはかなり変わっているんだけれども、
面白い作品になりました。
おそらく日本語版のほうが原作よりいいでしょう。
金原瑞人 翻訳とは別に、日本の伝統芸能に対して
なみなみならぬご興味をお持ちですね。


はい。岡山市にいた高校生のころ、新劇の芝居を
よく観ていました。ほとんどがアメリカやヨーロッパの
現代演劇の翻訳物です。で、大学に入って東京に出てきて、
アングラの芝居を観たんです。寺山修司とか唐十郎の
芝居でしたが、こんなのあったんだと衝撃を受けましたね。
そのころの彼らの芝居は、日本の伝統芸能を
とてもうまく取り入れていたのです。
そんな芝居から影響を受け、伝統芸能にもだんだん目が
向くようになっていったんです。歌舞伎を観るようになり、
やがて文楽や能も見始め、落語を聞きに寄席に行く、
という感じで。
それで、7、8年前に桂文我さんという上方の落語家さんと
知り合いました。僕にとって文我さんが、伝統芸能の世界の
最初の知り合いなのですが、彼との出会いをきっかけに、
義太夫の鶴澤寛也さんとか、伝統芸能の世界に
生きていながら、新しいことをやろうとしている人と、
どんどん知り合うようになっていきました。
そうしたところに、八重洲ブックセンターにある
120収容できるスペースで何かやりませんか、
という話が舞い込んできたんです。
そこで、「八重洲座」と銘打ち、僕の司会で文我さんと
寛也さんに交互に出演してもらうことにしました。
八重洲ブックセンターは東京駅の目の前。
そこで夕方開演しますから、普段日本の伝統芸能に
触れない方々も来てくださって、
とても楽しい催しになっていますよ。
金原瑞人 ご自分でも三味線を習っていらっしゃるそうですね。

長唄の三味線を習っているんですけど、月に一回なんです。
もう4年目になりますが、やっぱり、習い事は週に
一回やらないと上手になりませんね。全然だめですよ(笑い)。
習い始めたのは、友人の現代作曲家のコンサートに
行ったのがきっかけです。その友人の曲は、
バリトンと太棹の三味線をコラボレートさせていたんです。
それがすごくよくて、聴き終えてから友人に
「三味線よかったよ」と伝えました。
すると彼は「じゃあ、習いに行こうか」と……。
そして、そのときステージで三味線を弾いていた
杵屋子邦先生に習いに行くことになったんです。
なかなか上手になりませんが、三味線はいいですね。
僕はとくに日本の旋律だとか、
伝統ある楽器だとか意識していません。
純粋に音色が好きなんです。
でも、やっぱり月に一回1時間ですと上手になりません。
もうこれは純粋に趣味ですので、絶対に発表会はしません。
金原瑞人 文学、芸能、芸術を教え、習う。
やはり好きだからできるのでしょうか。


そうだと思います。僕には、こんな教員になろうとか、
こんな翻訳家になろうとか、確固たる思いはありません。
ひと昔前とは大学も変わって、昔は自分の研究する姿を
見て学べといった、研究を主体にした硬派な先生が
大勢いました。最近は研究半分、教えること半分と
いう感じで、ある意味サラリーマン的、ある意味、学生思い、
授業も学生の反応を確認しながら講じていくようになりました。
そんな授業をつくっていくことが嫌いだという人は、
大学の教員をすることは難しいでしょうね。
僕は、学生といっしょに、そこにしかない時間を
つくっていくことが好きなんです。
こちらも刺激を受けますし。
授業というのは、教員と学生のコラボレーションなのでは
ないでしょうか。翻訳でも、芸能でも、あるいは授業でも
そうですが、人と人とが組むと、個人の個性とはまったく別の、
集団の個性というものが生まれていきます。
文学、芸能、芸術というのは、そういうコラボレーションの
面白さを教えてくれるものだと思います。