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鳥越俊太郎 鳥越俊太郎 ニュースの職人

新聞記者時代にイラン・イラク戦争を取材し、
2001年にはキャスターとして「桶川ストーカー殺人事件」など
一連のジャーナリスト活動が認められ、日本記者クラブ賞を受賞。
長年の記者生活を経て、鳥越俊太郎さんはいま、
自らの肩書きを「ニュースの職人」とし活動されています。
ニュースの職人としての鳥越俊太郎さんのこだわり、
生き方についてお話を伺っていきます。

鳥越さんは、新聞記者をなさっていた40代の頃、
突然、日本を離れ、アメリカに行かれたそうですが、
まずは、そのあたりの経緯からお聞かせいただけますでしょうか?


新聞記者の頃は、特ダネを書くために、
夜討ち朝駆けで刑事さんの家に行って情報を仕入れ、
自分達の世界で勝った負けたと一喜一憂していた。
そういうことの繰り返しの中で、
どこかむなしさを感じていたんですね。
俺がやってる仕事の意味は、何なの?
単にこっちにきた話を
あっちに流してるだけじゃないのか?・・・って。
あと十数年、このまま仕事を続けて
定年を迎えるのはツラいんじゃないか。
そんな思いがして、英会話学校に通い始めたんです。
今後、何の仕事をするにしても英語が必要だろうと思って・・・。
でも、結局モノにならなかった。
で、これはもう日本にいたんじゃ覚えられない。
英語の中で生活しようと思って、いろいろその道を探っていたら、
新聞にインターンシッププログラムの募集記事があって、
運よくペンシルバニアの小さな町の新聞社が
受け入れてくれることになった。
振り返ってみれば、そこで初めて、
僕は自分の人生を自分で選択したわけです。
そのままレールに乗っていたら、あっちに行ってたところを、
自分でこっちに行こうとポイントを切り替えたわけです。
鳥越俊太郎 それから、どのようにしてキャスターになられたんですか?

アメリカに一年いた後、毎日新聞の特派員として、
イラン・イラク戦争を取材して、
帰国後「サンデー毎日」の編集長になったんです。
そこで、「このままいったら管理職になって、
現場から離れることになるのか、嫌だなぁ」と思っていた時に、
テレビ朝日から番組の話がきた。
「いや、私は九州弁で標準語もしゃべれないから無理ですよ」と
初めは断ったんですが、
「鳥越さん、これからは、なまりも味ですから」って
テレビ朝日の方に言われて、それをきっかけに、
89年から「ザ・スクープ」という番組が始まったわけです。
鳥越俊太郎 「ニュースの職人」として、
鳥越さんは特にどのようなことに
こだわられていらっしゃいますか?


マスコミの情報によって、あるものに対する世の中の見方、
風潮が一色に染まってしまった時に、
何が真実なのかを自分なりに判断して、
世の中の人々の見方が違っていたとすれば、
ちゃんとそれは違うと言えるかどうか。
情報の真贋を見極めるノウハウも含めて、
しっかり伝えられるどうかですね。
たとえば、世の中みんなが田中真紀子さんを持ち上げてる時に、
うちの番組だけが「田中真紀子の嘘!」というのをやった。
その時はファックスと電話と手紙で、ものすごい抗議がきた。
もうホントに頭痛いぐらいきましたね。(笑)
でも、そういう世の中の風向きに逆らってでも、
やらにいかん時は、やらにゃいかんわけです。
それを曲げちゃったら、もう自分ではなくなってしまう。
もともと僕は、人と同じことを言ったり、
したりすることが嫌いな、あまのじゃくな性格ですから、
こういうことに向いているのかもしれない。
これは余談ですけど、
以前、小泉さん、橋本さん、亀井さん、麻生さんの4人に
インタビューした時、
今日のように上着を着ないで腕まくりしていたら、
テレビを見ていたある政治家が
「将来の日本の総理になろうという人を前にして無礼千万だ」と、
プロデューサー宛てに抗議の電話がきたこともあった。
でも、これも私のスタイルなんですよ。
政治家が相手だからスーツ着なきゃいけない、
ネクタイしなきゃいけないっていうのは
自分のスタイルに反するんです。
鳥越俊太郎 そのように抗議の声が寄せられると、
精神的にかなりこたえると思うのですが、
そこでひるまずに、自分の思いを主張しつづけることができる
鳥越さんのその強さは、
どのようにして身につけられたんでしょうか?


それはもう自分の人生が、
70年とか80年という限りのあるものだと悟って、
自分の時間をどう使うかという見切りをつけたところからですね。
いつも持ち歩いているんですけど、
言ってみれば方丈記の世界ですよ。
学生の頃は、友人に一言グサっとくることを言われたら、
一週間、二週間、そのことが頭から離れないで、
くよくよ落ち込んでたこともありましたよ。
でも、いまは、いろいろ言われてもすぐ忘れてしまう。
まぁ、いい意味でボケが始まってるのかもしれない。
自分は自分以上のものでもないし、それ以下のものでもない。
ありていなところで生きていけるようになったというか・・・。
もともと僕は福岡出身なんですけど、
福岡の人間は淡白っていうか、えー加減なんですよ。
人生、まぁなんとかなるやろと楽観的に考えてるところがある。
イラン・イラク戦争で、爆弾を上から落とされた時も、
自分だけには当たらないって思ってましたもん。
何ごとも、くよくよ考えてたら、キリがないじゃないですか。
まぁ、そうはいっても、
「くよ」くらいは考えるんですけどね。(笑)
鳥越俊太郎 最後に、鳥越さんにとって「ニュース」とは何なのでしょうか?

ニュースは、食べ物と一緒ですね。
それがないと生きていけない。
食料や水と同じ。
食べ物は、肉体の維持に必要なもの。
情報は、精神の維持のために必要なもの。
心の栄養素なんですよ、情報というのは。
情報がなんにもなくなったら、人間生きていけない。
肉体的には生きていけますよ。
でも、精神的には無理。
その中で、僕の場合、心の中でも、
特に好奇心という分野が占める割合が大きいんです。
その好奇心に餌をやらないと死んじゃうんです。
そういう意味で、ニュースとは、私の好奇心を満たす、
心の餌なんですよ。